言葉は要らない



2024-02-29 19:57:49
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 右から左、左から右へ。
 からころ、からころと、そのたびにかすかな音がする。口いっぱいに広がっているのは、甘酸っぱいレモン味。
 左から右、右から左へ、からころ、からころ。
「諸星、それはなんだ」
 買ったばかりの雑誌をめくっているときだった。問われるままに顔を上げると、机の向かい側で明日の予習をしていた面堂が、いつのまにか頬杖をついてこちらをじっと眺めている。あたるは首を傾げた。
「なにって、何が」
「だから、きみは今何を食べているのだ?」
 あたるはきょとんとした。そのままべっと舌を出して、だいぶ小さくなったアメ玉を面堂に見せる。
「見りゃわかるだろ。ふつーのアメだよ」
「へえ」
「へえってなんだよ」
 今度はあたるが頬杖をついて面堂を見上げる。その間も、口の中のアメは小さな音を立てて左右に転がっている。もうほとんど口の中で溶けてしまった小さな欠片。ガリ、と噛んでしまえば、塊はあっさりと砕け散る。
「どんな味がするんだ」
「今のはレモン味。アソートだからいちごとかグレープとかもある」
「ふうん……そうか、だから一個一個色が違うんだな」
 面堂は袋の中身をのぞき込んで、感心したような声音で呟く。その言い方にぴんときて、あたるは面堂に半信半疑で尋ねた。
「面堂、まさかとは思うが……」
 案の定、面堂はあっけらかんとした表情で言った。
「そういう庶民のお菓子は、ぼくは食べたことがない」
「冗談だろ?」
「ぼくがそんなつまらん冗談を言う人間に見えるか?」
「うん、見える!」
「きさま、ばかにしてるのか……?」
 面堂はひくりと頬を引きつらせ、傍らの日本刀をすっと手に取る。切りかかられる前に、あたるはアメの入った袋を指さしてにっこり笑った。
「おまえも舐めてみる?」
 刀の鯉口を切っていた面堂の指が止まる。ちらりとカラフルな袋に目を向けてから、面堂は鞘をまた傍らに置いてそっけなく言った。
「ぼくの口にそういう庶民の食べ物が合うとは思えんな!」
「ほ~、そりゃ残念だな。こんなにおいしいのに……」
「……」
 面堂はなんともいえない顔をする。むすっと唇を尖らせ、あたるの傍らにあるカラフルな袋をじっと見つめたまま何も言わない。あたるも頬杖を突いたまま、面堂の様子を静かに見守っていた。かちかちと、時計の針だけが音を立てている。
 先に動いたのは面堂の方だった。腕を組んで、ふふんといつもの自信たっぷりの笑みを口元に浮かべた。
「確かに、ぼくに合うとは思えんのは事実だ……しかし、面堂財閥の跡取りたる者、個人の好き嫌いなど横に置いておくべきだな。市井の文化を研究することはそれすなわち財閥の未来を支える礎にもつながって――」
「おまえは素直に欲しいとなぜ一言いえんのだ!」
 くどくどと言い訳を並べ立てる面堂の話を聞き流しながら、あたるはアメの袋に手を突っ込む。適当に掴んだそれは、ピンク色。イチゴ味だ。
「ほれ、手出せ」
 あたるが透明の包装を破きながら言うと、面堂は素直に手を差し出してくる。無関心を装っているが、黒い瞳には隠しきれない好奇心がきらめいていた。
 あたるは、アメを持った指先を面堂の手のひらに載せる――仕草をした。だが実際にはアメを面堂の手に落とすことなく、何気ない顔で腕をさっと引き戻して自分の口に放り込んだ。
 面堂は唖然とした顔でその様子をただ眺めているだけだった。差し出していた手は空っぽのまま空中で静止している。
 固まっている面堂の様子にあたるがたまらず声を上げて笑い出すと、面堂もはっと我に返った。こちらを睨み付けながらガタっと席を立ち、いまだ笑っているあたるの胸ぐらを掴む。
「諸星っ、きさま人をおちょくるのもいいかげんに――」
 最後まで言わせるつもりはなかった。ぐっと引き寄せられたところで、あたるは面堂の後頭部に腕を回して、逆に面堂を自分に引き寄せた。えっ、と間抜けな声をこぼす唇に、あたるはすばやく自身のものを重ねる。薄く開いたままのそこに、甘い甘い塊を舌で押し込んでいく。かろ、と音を立ててアメが面堂の口内に移った。
 ゆっくりと唇を離していく。目に入るのは、間近にある面堂の驚いた顔。相変わらず、想定外の出来事にすこぶる弱い男である。
 あたるは面堂の頬を軽くつついて、へらりと笑った。
「おいしいだろ?」
 そこでようやく状況を飲み込んだらしい面堂の頬がみるみる赤く染まっていく。面堂は耳まで真っ赤にしながら、何も言わずに口元を片手で覆って俯いていた。思っていたとおりの反応に、あたるは満足する。
「面堂、おれもそれもらっていい?」
 あたるが面堂の顔をのぞき込みながら微笑むと、面堂はそろそろと視線を上げる。少しだけ間を置いてから、面堂は小さく頷いた。それを合図に、あたるは面堂の頬に手をかけてもう一度唇を重ねた。



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